マレーシア母子移住を決めたきっかけや、公立小学校からのインター編入。英語が話せなかった子供たちの家庭学習や5年間の成長記録。「グローバル教育や海外移住を考えている方へ」ブログがお役に立てたら嬉しいです。Sachi

【成長記録】マレーシア移住3年目(留学5年目):進路を考え変化しはじめた移住の目的

こんにちは!マレーシアでのんびり子育て中のSachiです。
東マレーシア、サラワク州クチンへ引っ越しをしてきてから、1年半が経ちました。

今日は昨年1年間を振り返って、
2024年、「移住3年目(インター編入5年目)」の記録をまとめようと思います。

過去の記事はこちらから ↓

マレーシア留学3年目(インター編入5年目) の変化

※コロナ禍リモート留学を合わせると、息子たちのインターナショナルスクール生活は丸5年となります。

留学1~2年目(オンライン)は「友達とのコミュニュケーションを取ること」「学校の授業についていくこと」に必死でしたが、

留学3~4年目(対面授業)かつ、マレーシア移住後の最初の1〜2年は、どうやって「生活の質を向上させるか」「学校の成績を上げていくか」を常に考え、試行錯誤しながら歩んだ時期だったように思います。

留学5年目、マレーシア移住3年目は、「これから」と「その先」をどう生きていくか、IGCSEやAレベル、その他を含めた進路のことを少しずつ考えるようになった1年だったと思います。

「このままここで学び続けていくのか?」
「将来、どんな進路があるのだろうか?」
「どの国を選ぶのか?」

子どもたちも私自身もこんなことを考え、未来のことが食卓での話題に上るようになってきた1年でした。

長男は自ら先生のもとへ進路相談をしに行ったり、次男は日本帰国を考えたり(!)、それぞれが能動的に自分たちの将来のことを考え、実際に動くようになっていきました。

生活は少し落ち着いてきたとはいえ、まだまだ模索中です。
留学3年目を振り返ってみると「考えるフェーズ」に入った私たち母子の、学びと気づきの1年間だったように思います。

  

次男K(Year6):学習の定着とローカル生活への順応

学校生活

次男KはYear6へ進級しました。
転校後、新しい学校での初日は

「ご飯ひとりで食べた・・・」

と、親としては胸がちくりと痛む、ちょっと切ないスタートでした。

Year6というと11歳。
学校ではそれなりに「友達の輪」が出来ています。
兄と違って人見知りが強い次男だったので、「人間関係」が何よりの心配事でした。
それでも少しずつ徐々に友達の輪を広げ、1か月も経たないうちに楽しく学校に通うようになりました。

転校先のローカルインターでは、これまでのような外国人中心の環境から、現地の子供達との関わりが強い日常になりました。良くも悪くも(?) 自然と彼らの空気を吸い込むように馴染んでいき、次男の3年目の学校生活は「ローカル生活を楽しむ!」1年だったようにも思います。

CNY (Cninese New Year) を祝う中華系のご家庭に招いていただいたり、

そこで見て刺激を受けた (?) ライオンダンスクラブに入ったり、その他にも、ちょっとマニアックな習い事をはじめてみたり。

クチンは食べ物の選択肢が多く、ペラ州在住時は「外食行かない!」と言っていた次男も(長男も)

「ちょっと〇〇食べに行こう!」

を楽しみ、外出もとても積極的になりました。

 

学習面(アカデミック)

学習面では「親の手伝いは一切いらない!」と「自主学習」の姿勢が以前にも増して強くなり、

・日々の学習内容は自分で決める

・結果を出すから口出しをしないで

・でも困ったときは相談に乗ってほしい

の3本柱。
のんびりマイペースな長男Uを見て育った次男Kはその逆へと進み、タイムマネジメントも含めて自立心旺盛な少年に育っていきました。学習面においては、実際に特別なサポートを必要とすることも少なくなり、私の関わりは主に「プリントを渡す」「声かけをする」程度に
以前は一緒に答え合わせをしていたテスト勉強も、「自分でやる」と、部屋にこもって何をやっているのか・・・

見えなくなりました😨

自立の面ではよかったと思います

私たちの周りにいる中華系マレーシア人の子供たちは「自分で決定する」ことを親から尊重されて育っている子が多く、「えぇっ?!こんなことも?」ということも、どんどん子供だけの力で企画し実行している場面が何度もありました。

「一人でやる!」ことで、結果的に「失敗する」「間違える」ことからも多くを学び、それに気づいた本人は、Year6の終わりに差し掛かるころには、長男や私にちょこちょこ「相談する」ことを覚え、部屋に閉じこもっていた自学から、再び「リビング学習」に戻ってきました。きっと試行錯誤しながら、自分の形を見つけていったのだと思います。

あの時は反抗期だったのかなぁという酷く心を閉ざした(ように感じた)時期を抜け出し、急激に大きくなった身体と声変わりを含め、心身の成長も大きい1年でした。

入学数か月後のエッセイコンテストでは学年1位を取得し、「書くこと」への自信が深まりました

Year6の最終成績は学校から表彰していただくことができ、本人としては納得・満足のいくYear6だったように思います。

 

長男U(Year9):進路を意識しはじめたけれどのんびりした1年

学校生活

Year9に進んだ長男U。
進級とともに、進路への意識は高まったように思います。
留学1〜2年目までは、毎日の授業、定期的に行われるテスト勉強を意識することで精一杯だった彼ですが、この1年は「将来どうなりたいか?」を少しずつ考え、身近な大人の方々に自ら質問するなど能動的な動きがみられました。

学校での話題も、進学・IGCSE・選択科目など、次のステップを見据えた内容が少しずつ出るようになってきた様子。転校先の今の学校は英語サポートクラスが無い学校=全員英語に困っていないという、お友達の英語レベルが高い環境であった為、友達との会話は

「知らない言葉がでてくるから、話してて楽しい!」

と、以前に比べ、現地の友達とより深い話に発展している様子を感じました。
(韓国人の友達と竹島問題とか、中国の国家主席の話とか・・・話を聞いて私は冷や汗だらだら・・・😰)

日本でいう中3の年ですが、男女mixでお菓子作りをしたり、遊び方が可愛いなぁと思います。
ペラ州居住時同様、良いお友達関係に恵まれています。

    

学習面(アカデミック)

学習面では、徐々にIGCSEを見据えた学習フェーズへ移行・・・のはずが・・・
実は長男U、転校後、学年末に差し掛かるまでの間に、かなり気を抜き、ゆるゆるしていた時期がありました。年齢的にも、周りの影響を強く受ける時期です。

長男の学習は、Year8からの流れを引き継ぎ、Year9の学習も基本的には本人に任せていました。(母は、困った時の助言や学習計画・アドバイス程度)。「親には必要な時にだけ相談したり、頼りたい」というスタンスを見守りながら、あっという間に学年末へ。

次男も長男も、転校してから「自分でやりたい」きもちが強まったのは、
新しい学校で出会った友達や環境の影響も強く関係していると思っています。

 

編入5年目にして、次男を含め、子供たちの学習の様子は見えにくくなりましたが、その分、
母として彼らに出来ることは何かと、私自身がたくさん考えるようになました。
そして、将来の話をしたり、今なぜマレーシアにいるのかなどを、子どもたち自らに考えさせる種まきをたくさんした1年だったと思います。

ゆるゆるとYear9の大半を過ごしていた長男ですが、最終的には、転校前同様、新しい学校でも、将来のことをしっかりと考えていたり、AやA*をごくごく自然に目指しているお友達と親しくなることで、学年末試験に向けてモチベーションをあげていきました。交友関係を通して本人の「目標」や「到達基準」がはっきりと定まってきた長男を見ていると、
この年頃の子供たちにとって、

「どんな環境で、誰と過ごすか」

ということに、学校生活や将来の選択も大きく左右されるのだと改めて感じました。

試験前の追い上げは、友達とオンラインで繋ぎながら勉強する形を取っていて、
その異常なまでの追いこみ方に、「結果」ばかりにとらわれ学ぶ楽しさを失わないよう
親としてはむしろ少し「ゆるめる」声かえかけをしたり、睡眠を削ってまで勉強をしちゃだめよと、
わたし自身の声掛けも大きく変わりました。
一歩引いて見守るスタンスになったのだと思います。
そして、

「自ら」頑張ったことは、ちゃんと結果にもあらわれました。

「書くこと」が得意な次男とは違って、「プレゼンする」ことや「表現する」ことが好きな長男。
けれども、英語スピーチコンテストでは学年3位。途中頭が真っ白になってしまい沈黙の時間が出来てしまった、練習不足だったと相当落ち込んだようですが、友達の応援や、励ましの言葉に、次のチャンスに向けて気持ちの切り替えができたようです。

長男のUも次男のKも友達との関係がとても大事なお年頃なので、母としては可能な限り、子供たちの交友関係をサポートする動きをしたいと思っています。

   

母 40代半ば:価値観の転換と「教育移住」の目的の変化

私(母)の生活と気づき

留学5年目、マレーシア移住3年目になって、私自身の生活も少しずつ変化してきました。
特に、子どもたちが自立して学ぶようになってからは、「私がサポートをしなくてもいい時間」が少しずつ増え、自分の時間と向き合うように・・・なりたかったけれども、2024年は何故か、仕事が大忙しの1年でした。

マレーシアにいるのに、日本の仕事に追われている日々。
子供たちとは違い、転居先での生活を楽しめていない私。
振り返ると、私が子どもたちから離れたことは、結果的に子供たちの「自立」を促す要因の一つだったのかもしれませんが、

ふとした時に、

「この教育移住は、どこへ向かうのだろう?」
「子育て期間もあと少し。私が今すべき(したい)ことは?」

と、自分自身に問い直すことも増えてきました。

 

そんな中で、あと数年しかない(であろう)子どもたちと一緒にいられる時間を、

「家族として、共に過ごした実感を持って生きていきたい」
「そういう人生を歩みたい」

そう強く思うようになりました。
お金じゃなくて、子どもとの時間。
私が今ここにいる目的がはっきりと見えるようになりました。

 

サラワク生活で出会った「人としての学び」

サラワクでの暮らしが始まり、ローカルの人たちとの距離がぐっと近くなりました。
特に、ペラ州で出会ったお友達(ビダユ族)の弟ファミリーとの交流や、学校関係で知り合った中華系のおじいちゃん私たちのサラワク生活は最初から、この2組にいつも助けられ強く影響を受けていました。

外国人の集団の中で過ごしていたペラ州在住時とは異なり、「現地の価値観の中で過ごす体験」をしている実感があることはとても大きな変化でした。

子供たちが出逢った学校の友達や、プライベートのお付き合いの中で、彼らから学んだことは、親や年長者を敬う文化、大切なものをシェアする文化、子どもたちののびのびとした自由さ・・・・そして何より、「許し合える」大らかさ
この空気の中で、子どもたちの心はほどよくゆるみ、英語力や学力よりも、「人としてのあり方」が育まれていったように思います。

 

最後に

マレーシア生活3年目は、ただ海外移住したのではなく、ただインターナショナルスクールに留学したのではなく、現地の文化に深く触れ母子共にたくさんのことを学び、大きな変化があった年でした。

✔ 自分で学び進む力

✔ 目標を持ち、行動する姿勢

✔ 異文化に自然に溶け込み共生する力

✔ 家族や人、「縁」を大切にする気持ち

それぞれの成長を見守りながら、私自身も、教育とは何か、子育てとは何かを考え直す機会になりました。

これからまだもう少し、答えのない私たちの旅は続きます。
そして、この1年を経て得た大きな変化が、今後の子供達、そして私自身の進路を大きく変化させていくことを感じています。

 

 

 

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