マレーシア母子移住を決めたきっかけや、公立小学校からのインター編入。英語が話せなかった子供たちの家庭学習や5年間の成長記録。「グローバル教育や海外移住を考えている方へ」ブログがお役に立てたら嬉しいです。Sachi

【共通】子どもと親が一緒に育つということ:インター編入で家族が得たもの|1年目の記録 #6

▶このブログ記事は、【マレーシア留学】インター編入1年目(Term2)シリーズのまとめ記事です。

 

子どもがインターナショナルスクールに通い始めることになり、親である私たちは、子どもたちが授業についていけるか、英語で困らないか、いろんなことを考えていました。

ただ、実際にこの道に進んでみて気づいたのは、子供がインターナショナルスクールに通うことで、大きく影響を受けたのは子どもだけではなかったという実感です。
いろんな意味で、「親も一緒に育つ」という実感を得ることが出来ました

 

子どもを支えるために、親もいっしょに学び続ける

我が家の長男Uは、英語での授業に苦戦しながらも、1度も「やめたい」とは言わずに前を向いてくれ続けていました。次男Kは、英語が読め眉間にしわを寄せながらも、毎日コツコツ課題に向き合っていました。むしろ、母子で様々な課題に取り組むことを楽しんでくれたいたような気もします

そんな姿に「親として何ができるか?」をずっと自問し続けていました。
自分自身が英語を学び直し、教科の内容を一緒に調べ、言葉の意味を調べ、時にプリントを作ってみたり…。親である私も「学ぶ人」として、ゼロから「いっしょに」スタートする実感がありました。

 

子どもが苦しむ姿を見て、「自立」を学ばせる難しさに気づいたこと

もちろん、最初から最後までずっと順調だったわけではなくて、先生との相性もあると思うのですが、クラスの中でただ一人、分からないことを責められるような口調で言葉をかけられたとき、我が子が涙を流して「わかんないよ」と言ったとき、親としてどう子供に声をかけるかはとても慎重になりました。

助けてあげたいという気持ちと、助けすぎるのはよくないという気持ち。見守りたいという想いと、完全に放っておくのは心配という不安。その間を行き来しながら、私たちは「支える」と「任せる」のバランスを、日々探っていたように思います。

この「支える」と「任せる」の間の揺れ動きは、インター校という環境において、その後何年にもわたり、日々試されている親である私の課題となっていました。

 

「違いを当たり前に受け入れる」感覚が家庭にも広がった

国籍・宗教・言語・文化の違う子どもたちと学ぶ中で、我が家の息子たちは「人との違い」をごく自然に受け入れていきました。

そして、その感覚はいつの間にか、家庭内にも伝わってきたように思います。

自分の感じ方と他人の感じ方は違うということ。
正解はひとつではなく、視点を増やしていくことの大切さ。
どちらが上か下かではなく、違いを「違い」として認められる柔軟さ。

これは、親自身にとっても大きな意識の変化でしたし、マレーシアという国だからこそ身につけていけた感覚かもしれません。

2021年マレーシア到着後:多国籍なお友達と遊ぶ長男U

 

「この子は大丈夫」と思えるようになった、その理由

たとえ言葉が通じなくても、授業についていけなくても、長男も、次男も、その中で「どう考え、どう動こうとしたか」が見えたときに、親としての見方も変わりました。

「子どものうちは、まだ未完成でいい。」

むしろ、困ったときに誰かを頼れること、諦めずに続けられることが、心がちゃんと健やかに育っているということなんだと、改めてそう思えるようになったのです。

親としてたくさんのことを学んでいます。

 

まとめ:子どもと一緒に、自分を育てるということ

日本の国公立校・私立校、一条校、国内・海外のインターナショナルスクールに行くこと。どんな道でも「正解」とか「どっちが優れている」とか、そんな優劣は存在しないのではないかと思います。
子ども本人のやる気や性格、親の関わり方やライフスタイル、様々なタイミング…すべてが家庭ごとに違うからです。

でも共通して言えるのは、「子どもが挑戦する環境に身を置いたとき、親もまた新しい成長のステージにいる」ということ。

子どもが育つその隣で、親も迷ったり、泣いたり、笑ったりしながら自分を育てていくというこの感覚を、これから大きな挑戦をする皆さんも、既に挑戦中のステージにいる方も、皆さんと一緒に感じられたらとても嬉しく思います。

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