すっかりご無沙汰しております。
少し・・・いえいえ、大分間が空いてしまいました。。
これには、
①マレーシア入国プロセスにおけるショッキングな出来事と、
それによる
②子供達の進路の再考。
そして、
③私自身が、頑張ることにちょっと疲れてしまった時期
であり、
④1年半近くの引きこもりから、私が抜け出した(仕事)
という、4つの言い訳があります^^;
近況報告を兼ねて①~④、ひとつずつ書いて行こうと思います。
近況報告
①マレーシア国内でのコロナ感染爆発
最初に書いた、我が家にとって「マレーシア入国プロセスにおけるショッキングな出来事」とは、
ずばり、このマレーシア国内でのコロナ感染爆発に起因しています。
新規留学生の入国が再開との発表がなされ、
我が家のビザ申請状況も「1ステップ」まさに進もうとする時点での、マレーシアロックダウンでした。
3月頃から、「そろそろ入国出来そう」という噂は流れていて、再び荷造りをしていたところだったので、
何度目となるか・・・買いだめした食料品等ををスーツケースから出し、段ボールを解体し、
気持ちを、「長期リモート」に戻すのに少々時間がかかりました。
②子供達の進路再考
長男Uは、長引くリモート生活に若干疲れ、
また親として、彼の勉強以外の面での影響を案じ、
元々在籍していた小学校の先生に相談をし、4月、6月と1週間ずつ小学校生活をさせていただきました。
この間、毎日、本当に楽しそうに学校へ通う長男の姿を目の当たりにし、
先の見えないマレーシアではなく、
この子にとっての「今の一番は何なんだろう?」と、悩みました。
リモートで在籍している今の学校から、他校(国)へ転校することも視野に、
現段階でビザが取れる他国、そして、日本国内でも、
パパと子供達にとってのベストを考えながら、新たな学校探しに時間を使いました。
けれども、次男Kは
「マレーシア以外イヤ!」
「日本の学校には戻りたくない!」
ときれいに気持ちが切り替わってしまっていて。。
移住を決めた当時6歳だった次男も、もう8歳。
本人の気持ちを無視できない年齢に、十分達していました。
③頑張ることに疲れた時期
そんなこんなで、学校に諸々問い合わせをしたところ、
学校側から面談の提案を受け、そこで不安や心配事、思ってい事を話す機会が設けられました。
「こちらの学校を休んで、時々、元の学校に通ってもいいか」
「急に辞めるとなった時に、デポジット(預り金)は返してもらえるのか」
など、結構失礼な質問もした気がするのですが、
もう、びっくりするくらい
“Can! Can!”(マレーシア特有の英語、Manglish※)
と!
※Manglishについてはこちらで詳しく書かれています。
学年主任の先生が、ぜ~んぶ笑い飛ばしてくれました。
もしかしたら、人によってはこの対応に不満を持つ方もいるかもしれませんが、
ああ、笑い飛ばされちゃったよと、何だか私も再び前向きに(笑)
思い返せば、私自身、不安や悩みを口にするのがあまり好きではなく、
結構自分の中に溜め込んでいたんだなぁ…と思いました。
笑い飛ばしてくれたこと、そして、
パパ以外の誰かに不安を話せたことで、私の精神状態は一時的に救われることとなります。
④お仕事を始めました
以前のお仕事を辞めてからの1年数か月。
とっても大好きだった仕事、そしてとっても大好きだった方々と離れてしまう事をさみしく思いつつも
新しい生活と、何より子供達の教育面でのサポートに全力を尽くしてきた(つもり)の日々でした。
ご縁あって、教え子さんを一挙に引き受けてくださったお教室の先生から、
新教室の立ち上げに伴うお手伝い要員として、時々外に出てお仕事をすることになりました。
最初はほんのお手伝いのつもりで。
けれども、雇用契約書を交わすお仕事へ。
基本リモートで働くことが出来るスタイルがとてもありがたく、何よりも、
陰ながらでも、大好きな子供達の成長を見守れるということが何より嬉しくてたまりません。
マレーシアへの移住をきっかけに、いろんなご縁に引き寄せられていて
恵まれた出逢いに感謝しかない。
改めてそう思います。
HPやTwitterで出逢えた方々にも、日々刺激をいただいております。
SNS時代、子供と一緒に、母も進化していかなければと思う、今日この頃です。