マレーシア母子移住を決めたきっかけや、公立小学校からのインター編入。英語が話せなかった子供たちの家庭学習や5年間の成長記録。「グローバル教育や海外移住を考えている方へ」ブログがお役に立てたら嬉しいです。Sachi

【共通】日本の学校に通わないという選択:マレーシア留学前の家族の記録|1年目の記録 #5

▶このブログ記事は、【マレーシア留学】インター編入1年目(Term2)シリーズの特別編です。

 

世界がコロナ禍に包まれていた、2020年。
我が家は、当初の予定通り、長男U(当時小5)と次男K(当時小2)を連れて、マレーシアのインターナショナルスクールへ転校させることを決めました。

けれども、それは同時に、日本の小学校という、子供たちの「今ある安心」を手放す選択でもありましたし、親としても想像以上に不安と葛藤を伴う、大きな挑戦だったことは間違いありません。

 

留学直前に起こった「まさかの入国不可」

持ち家を貸し出し、家財を整理し、「あとは飛行機に乗るだけ」のはずだった私たちですが、渡航予定の数週間前に、マレーシア国境が封鎖され「入国できない」という想定外のスタートを切ることになりました。

子供たちを交えて何度も話をしましたが、当時の私たちには「マレーシアの国境が開くまで待つしかない」という考えしかなく、日本の小学校に戻るという選択肢はありませんでした
たとえ現地に行けなくても、マレーシアの学校とのつながりを絶やさず、リモートでも学び続ける道び頑張ろうと、家族皆で決めました。

持ち家に賃貸に出してしまったので、母子のために急いで借りたマンスリーマンション

 

見えない将来と、家族の居場所を求めて

その間、我が家は何度も引っ越しをました
家が無くなった直後は、パパの仮住まいのワンルームに家族4人で身を寄せて、子どもたちの授業中は物音一つ立てられないような生活。

「これは修行か試練か…」
と、自分たちの居場所がない不安定な日々でした。

「私たち、来週はどこにいるかな」
何度そんな会話をしたことでしょう…

マンスリーマンション、帰国者用物件、郊外の格安物件。
国境閉鎖は長引きそうだからと、「家族で暮らせる部屋を借りよう」そうしてたどり着いたのは、編入から3か月以上経ってからのことでした。

2週間お世話になった、コロナ禍帰国者用マンション

 

日本の学校に行かないことへの迷いと覚悟

もちろん、迷いはありました。

「このまま日本の小学校に戻った方が、子供たちにとっては良いのかもしれない」
「現地に行ける保証もないのに、なぜここまで頑張るのか」

いろんな思いが湧いては消え、湧いては消え…
子供たちの前では前向きな言葉を口にするようにはしていましたが、それでも、子どもたちが世界を広く見られる場所で育てたいという私たちの気持ちは変わりませんでした。

実際、長男Uは英語に壁を感じながらも、「やめたい」と一度も口にしませんでした
次男Kは、日中は日本の学校に通い、帰宅後に英語の課題に向き合う生活を、文句も言わず、むしろ楽しんで続けてくれていました

勉強机も処分してしまっていたので、キャンプ用のテーブルで勉強していた次男K。

 

「家族で選んだ道」が子どもたちを育てていく

いま振り返ると、あの時期の不安定な生活と、たくさんの試行錯誤は、
確かに私たち家族の「芯」を強くしてくれたように思います
「自分たちではどうにもできないこと」を経験し、それに対して「どうやってアプローチをしていくのか」コロナの国境閉鎖時期を通して、私たち家族が学んだことです。

「日本の学校に行かない」という選択は、ただの冒険ではなく、子どもたちの未来を見据えた親としての覚悟があったからだと思っています。そして、実際にマレーシアに来て出逢った多くの母子留学の方々は、やはりいろんな意味での覚悟と共に、現地での子育てを頑張っています。

環境が整ってからではなく、「整わない中でも前に進む力」。
その力は、今も私たちを支えているのかもしれないと思います。

 国境閉鎖が長引くなら家族合流しようと借りた、郊外の格安マンション

 

まとめ

日本での待機期間を経て海外に出るまでの間に、家庭でできることが想像以上にたくさんあるということに、私たちは気づかされました。
子どもは親がどう生きるかを見て育っていると思いますし、更に子供たちがこれからどんな人たちに出逢い、どんな環境で育つかということは、彼らの人格形成に大きく影響を与えると思うのです。

「日本の学校に通わせない」という選択が、正解だったかどうかはわかりません。
でも、こうやって育っている我が家の息子たちは、反抗期を通過(真っ只中?!)しつつも、家族や仲間を大切に思う優しい子どもたちに育ち、国籍や宗教や文化が異なる友達と相互理解をしながら生き抜く力を育んでいます。

どんな道であっても、家族で決めた選択を信じて前に進むことは、未来への大きな一歩になると私は思っています。

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【2022年6月10日:編入46日目の母の日記】

日本国内では緊急事態宣言が解除になって、息子たちが通っていた公立小学校も、6/1から時差通学が始まっています。けれども、時差通学する子供達の輪の中に、彼らの姿はありません。

朝から自宅にこもって学習をして、その合間や終わった後の気分転換に彼らをお散歩がてら外へ連れ出すと、時々通学途中の小中学生を見かけるようになりました。

2人が何かを口にする訳ではないけれど、特に長男は複雑な気持ちになるんじゃないかな…
と母は気掛かりで仕方がありませんでした。

一日でも早く入国して、新しいスクールに通わせてあげたい。日本の小学校に「行かせない」選択をしている今の状況が、母としては少し苦しかったりもして、次男に

「元の生活に戻りたい?」

と聞くと

「え~、絶対ヤダ。」

と、まさかの答えが。

「友達には会いたいけど、国語とか漢字とかやりたくないから、今のままが良い。」

と兄Uも言っていました。本心なのかどうなのか分からないけれど、家の外に出たがる訳でもなく、秘密基地ごっこや戦いごっこ?をして遊んでいる彼らの様子を見ていると、子どもながらに何かを感じて言葉を選んでいるのかなと、かんぐってしまいます。

マレーシアでは3月18日からマレーシア全土に活動制限令(Movement Control Order)が発令され、幾度となく期間の延長が繰り返されています。

その後、5月4日からは条件付き活動制限(CMCO)、6月10日から8月31日までRecovery movement control order (RMCO)に置き換わり、教育機関の再開は、教育省がSOPを発表するまで、もう少し行方を見守らなくてはいけない状況です。

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