マレーシア母子移住を決めたきっかけや、公立小学校からのインター編入。英語が話せなかった子供たちの家庭学習や5年間の成長記録。「グローバル教育や海外移住を考えている方へ」ブログがお役に立てたら嬉しいです。Sachi

【海外移住準備(前編)】セブ島 親子留学後に動き出した現実|教育・仕事・住まい・人生の選択

セブ島親子留学後、現実が動き出す

セブ島での親子留学を経て、私たち家族の日常には
「海外(フィリピン)での暮らし」
についての話題が飛び交うようになっていました。

セブ親子留学についての記事はこちら

2018年、パパの闘病。
2019年夏、結婚10周年を兼ねたセブ旅行と、長男Uとの留学体験。
その一年の流れを経て、私たちの心は次第にフィリピン移住へと向いていきました

ただ、この時点では「移住」はまだ夫婦間でのひそかな話題。
「実現」に向けては慎重に話し合いを重ね、そして真剣に、暮らしを見直していきました。

 

家族にとって最優先だったのは「子どもたちにとってのメリット」

パパの体調、仕事のこと、それから、まだ元気でいてくれてるとは言え、両親の将来のこと。
住宅ローンの残る自宅、そして私が当時運営していた教室の生徒さんたちのこと
課題は山ほどあり、ひとつひとつ考えていく必要がありました。

けれども、最も大切にしていたこと、そして、全ての判断基準は

「海外移住は、子供たちにメリットがあることなのか?」

ということでした。


そこが叶わなければ、移住を決断する気持ちは全くありませんでした。

きっと他の方法を考えていたと思います。

今の満ち足りた日本ではなく、発展途中の国で育つことの価値
私がかつて海外で出会った多様な人たちとの経験が、今の私をつくったように・・・

「どこで、どんな環境で、子どもたちを育てていきたいか」

この問いが、私たちの暮らしに深く入り込んできたのです。

 

捨てることから始めた9月

まず私たちが始めたのは、「新しいものを買わない」「断捨離をする」こと。
不燃ごみの日、少しずつ手放していく日々。なぜか、私は毎回写真を撮っていました。

「覚悟の証」でもあり、積み上げたものを崩す、心の準備をするための、私の無意識の行動だったのかもしれません。

私(母)が、仕事をやめる決断をした 10月

2019年10月。パパは本格的に職探しを開始。
私は悩んだ末に、教室を閉める決断をしました。

子どもたち(生徒さん)との別れ、保護者の皆さんとの信頼関係……
それらを手放す葛藤、寂しさは、想像以上でした。

移住準備の中で、これが一番つらかった。

保護者の皆さまひとりひとり閉室の報告をしていた時期。
日中、なにも手につかず、突然涙があふれる。そんな日々でした。

「本当にこれで良かったのか」
自分の選択を自分で問いながら、それでも前に進むしかなかった。

お預かりしていた生徒さんたちの進路や人生に責任を持つ以上、この時期の決断は必要だったと思っています。

 

教育情報を集めはじめた|移住先としてのフィリピン

この頃、都内の留学エージェントにも足を運びました
けれど、ほとんどが高校生以上のプランばかり。
当時はまだ、私たちのように「家族で移住」したい人への情報は非常に少なく、現地のエージェントに直接連絡を取りながら、リアルな情報を集めました。

学校の候補は、フィリピンで3〜4校。教育内容・費用・入学時期などを何度も確認しながら、移住の現実味を高めていきました。
学校にもよりますが、私が見ていたフィリピンのスクールの場合は、6月、8月、9月の入学が多かった様に思います。なので、日本で3月まで仕事をして、子供たちの年度の切り替えのタイミングで、フィリピンに飛ぶ、そう考えていました。

 

パパの「マレーシア案」と、心が揺れた11月

2019年11月。パパの就職活動が思うように進まず苦戦していました。
若い人材を多く求めているフィリピンでは、条件的に、若しくは英語力でひっかかってしまうことを繰り返すしていた時期。
そんな中、別の選択肢として、転職エージェントさんから「マレーシア」を勧められました

「マレーシアは日系企業が多くて仕事も探しやすい。」
「治安もいいし、教育環境も整っているらしいよ。」

そんなパパの言葉を聞きながら、フィリピンから全く心が動かなかった私でしたが、「銃規制がある国」という点では少しだけ気になっていて、念のため…と、マレーシアの学校情報も並行して収集しはじめました
(私の心はフィリピンにあった為、マレーシア内での候補は、1校のみ。)

 

家と仕事と、私の「これから」を考えた12月

パパは病気の後遺症が再び悪化し、再休職
移住予定の4か月前のことです。
日中家にいるパパとの時間はたくさんあったので、今後の話をよくしていた時期

家をどうするか、本格的な話し合いも始まりました

私は「売る」ことに賛成。パパは「賃貸もありかも」と悩みながら、不動産屋に相談したり・・・

メンテナンスや空室リスクなど諸々抱えてはしまうけれど、ひとまずは賃貸に出してみて、年明けから売買と並行しようかというのがこの当時の判断。

Uが生まれた年に購入して、10年間住んだ家。

一方私は、自分自身の「これからの働き方」を考えるようになります
決まった時間・場所で働くことのリスク。
「ノマド」という言葉や「クラウドワークス」に出会い、とにかく「やってみよう」と、小さな案件から一歩ずつはじめることにしました。

 

子育ても、仕事も、自分たちらしくあるために

「働き方」と「暮らし方」は、いつの間にか切り離せないテーマになっていました。

何を手放し、何を得て、何を守るのか。

この冬は、私たち家族にとって「決断の冬」でした。

そしてその先には・・・
マレーシアへの急展開と、突然の「国境閉鎖」が待っていたのです。

   

【海外移住準備(後編)】セブからマレーシア、そして「国境閉鎖」へ|家族で選んだ道と、私の新しい働き方に続く

 

 

 

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