2018年夏、いつもと違うパパの様子
2018年8月。
当時、長男Uは小学校3年生、次男Kは年長さん。
私は幼稚園の役員として、日々バタバタと過ごしていました。
そんなある日、
「なんかさ、しこりみたいなのがあるんだよね。」
いつもと違って、なんだか不安気な声でパパが一言呟きました。
話を聞けば2週間ほど前から気になっていたようで、
気になるなら取り合えず病院に行けば安心と思い
「すぐ病院行った方が良いよ。」
そう伝えパパを見送りました。
なんだかこれはおかしいぞと、パパも私も、
直感的に何か異質なものを感じ取っていたように思います。
診断結果は、「がん」
パパはその足で病院へ。紹介状をもらって総合病院へ行くと、すぐに精密検査に。
「なんか、癌かもしれないんだよね。」
帰宅したパパは、総合病院の紹介状を持ち、驚くほど冷静に、淡々と状況を説明してくれました。
癌かどうかの判定は、厳密には、組織を病理検査に出してからという事だけれど、
もうその時点で、「可能性は高いと言われた」との話だったと記憶しています。
癌かもしれないとなんとなく分かっても、具体性もないし、今後の事もまだよく分からないし、何だか夫婦そろってふわふわしていたのがこの頃。
Kの最後の幼稚園の年だったし、私は委員会活動で忙しく、パパも1か月前に新しい部署に異動して間もなく…という時期だったからか、
なんだか、本当に実感がなくて、どちらかと言うと、当初はとても楽観的でした。
けれどもその後、病理検査の結果が出て、やはり「癌」であることが確定して、
既に転移もあり、ステージⅢ中Ⅱb。
予後が良いのか悪いのか、治療が有効なのか否かよくわからない中、
「やっぱり癌って聞くと、がーんってくるよね。」
「だから癌なのかね。」
帰宅してから、そんな風に夫婦そろって、やっぱりまだふわふわした会話をしていたのですが、自分の状況を徐々に飲み込んでいったパパのショックは、徐々に大きく膨らんでいきました。
治療と入院、そして「移住」という言葉
パパは抗がん剤治療を受け、長期入院生活に入りました。
髪の毛は全て抜け落ち、吐き気と戦いながらも、幸運なことに治療は効果を発揮しました。
長期にわたる入院生活の中、パパは自分の生き方やこれからの事など、たくさんの事を考え、彼の中で大きな価値観の変化が起きていたようです。
「家族との時間をもっと大切にしたい」
「収入よりも、心の豊かさや実感を大切にしたい」
そんな思いから、彼の口から徐々に「移住」という言葉が、ぽつり、ぽつりと出るようになりました。子供がまだ小さいころから単身赴任で家を離れるなど、家族皆で過ごす時間の少なさを憂い、人生において何が自分にとって大切なのか、どうやって生きていきたいのかを、改めて考えなおしていた様子でした。
幸運にも抗がん剤治療(4クール)はよく効き、MRIでもがん細胞が確認されず、無事に退院。
治療の後遺症(末梢神経障害)を抱えながらも、少しずつ日常へ戻っていく中で、
「人生で本当に大切なものって何だろう?」
そんな問いが、自然と彼の中で育っていったのだと思います。
ひとりで進めていた「移住」という選択肢
退院後、パパは国内の移住候補地を検索し、
実際に家族旅行がてら候補地に足を運び、移住候補先の情報収集を始めました。
私は・・・というと、そのときはまだ、正直な所「大好きな仕事を辞めて移住だなんて、考えられないかもしれない・・・」と、パパがあれやこれやと動いていたのを、ただただ見守っていた時期だったと思います。
でも、今思えば、パパの中ではもう
「生き方を変える決意」
が出来ていたのだと思います。
その数か月後。
家族の心が動き始めたのは、この後、結婚10周年で訪れた、
夏のセブ旅行(+長男との母子留学)がきっかけだったと思います。
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