※本記事は【海外移住準備(前編)】セブ島 親子留学後に動き出した現実|教育・仕事・住まい・人生の選択 の後編です。
2020年1月。私たち母子が移住予定の、3か月前です。
この時期はセブの移住先候補地へ連絡を取り、支払い総額などを具体的に計算している時期でした。
休職をしていたパパは職場復帰を果たしました。会社の配慮で、体に負担の少ない部署に異動させてもらえたことで、少しずつ健康を取り戻しつつある時期。
そんな時期にもかかわらず・・・
いえ、そんな時期だったからか、
同時に、パパの「マレーシア推し」は加速します。
「マレーシアは日系企業が多い。」
「仕事も見つかりやすいし、物価も抑えられる。」
「銃社会じゃない。治安もいい。」
何より、マレーシアには英語を基盤にした教育環境が整っていて、「移住先としてバランスがいい」と、多くの情報を集めては私に共有してくれていました。
私はというと、まだフィリピンへの想いも強く残る中で、
「マレーシアって国を知らない。行ってみないと分からない。」
そう思い立ち、冬休みを利用して、ひとまず飛んでみようということになりました。
「せっかく行くなら学校見学もしたい」
「見学するなら、いっそ受験までしてしまっては?」
話はぽんぽんと進み、全てを詰め込んだ「弾丸視察プラン」を立てることになります。
【2020年1月】家族でマレーシアへ|弾丸受験・視察ツアー
- ✔ 私と子どもたちは、1月11日〜15日まで、4泊5日で現地入り。
- ✔ パパは仕事の都合で、1月13日深夜に到着し、15日午前には帰国。実質1泊2日のマレーシア滞在。

数日の間に学校見学、受験、街の視察、生活インフラの確認・・・と詰め込んだ超ハードスケジュールでした。
この弾丸受験・視察ツアーを強行するにあたり、一番大切にしたのは
「子どもの気持ち」
彼らの「不安を取り除き」「この国が良い!」と思ってもらわなければ、そもそも移住の選択肢からマレーシアは消えてしまうからです。
子供たちに「楽しんでもらおう」と考えながらいろいろ調べて企画するうちに、そして、たまたま見つけたインターナショナルスクールの紹介動画を見て
「あ、ここいいかも」
と、学校ベースで、私(母)自身も、いつしかマレーシア推しへと心変わりをしていったのです。
※実際には、学校を調べるうちに、「国際的な教育カリュキュラムを受けていた方が子供たちの将来の選択肢はひろがるであろう」と考え、またその場合であれば、環境・経済面で、私たちの場合はマレーシアの方が適していると判断しました。
そしてこの、リサーチをしたうえでの
✔「直観的なもの」= 学校が子供たちに合いそう
✔「マレーシアに対する子供たちの印象・反応」= 子供たち自身がこの国を好きだと言った
この2つが、移住先をマレーシアに最終決定した理由となりました。
マレーシアからの帰国時に、飛行機に乗り遅れるというハプニング!!にも見舞われつつ、必死でチケットを取り直し、なんとか日本に戻ってきました。

一生忘れられない、Missed Flight。
何やってるの、私たち・・・🥹
学校からの合格通知、そして「家のこと」
受験を終え、日本帰国。
子どもたちとも楽しく過ごせて、突然の受験もよく頑張ってくれたと思います。
1月20日。
学校から無事に合格のオファーレターが届きました。

私たちは、4月からのマレーシア移住をいよいよ現実のものとして動き出します。
でも、それと同時に進めなくてはならなかったのが、「家」のこと。
「家はどうする?」
「売る?貸す?」
10年間暮らした、思い出のつまった家。
子どもたちは口を揃えて言いました。
「売るなんて絶対やめて!」
その言葉を受け、子供たちの気持ちを最優先に、家は賃貸に出すという方向で動き始め、本当にタイミングよく、すぐに入居してくださる方が決まりました。
私は、在宅ライターという働き方をスタート
前編でも少し触れましたが、この頃から私は「リモートでできる仕事」を本気で探し始めました。
以前から登録していたクラウドワークスで、本当に小さな小さなライティングの仕事をコツコツと積み重ね、その後は、ご縁合った教育系メディアでレギュラーのお仕事をスタート。また、また別のご縁でつながった塾関係のオーナーさんのもとで、バックオフィス業務をリモートで担当することになりました。移住を決める前は
「仕事はどうしよう」
と、実はとても不安に思っていました。
パパの体調面を考えても、最悪「私一人で現地の生活をまわせる最低限の収入」は欲しいと思っていたからです。もちろん努力はしましたが、実際にマレーシアに渡ってからの数年間で、「こんな働き方もあるんだな」と、不思議なご縁や機会が何度も巡ってきました。日本にいた時には考えもしなかった経験をさせていただいたり、出逢うことが出来た皆さんに、心から感謝しています。
入学のタイミング問題と、コロナウイルスによる国境閉鎖
息子たちが受験したマレーシアのインターナショナルスクールは、1月はじまりの英国式カリキュラム。
つまり、4月の渡航では「2学期からの編入」となってしまいます。
このまま予定通りでいいのか?
年度をまたいでいいのか?
飛ぶ時期を早めた方がいいのか?
そんなことを考えながら、そして同時に、仕事や学校、日常生活を送る中、パスポートの更新やビザの準備、家の片づけ、渡航のチケット予約など、やるべきことが山積みでした。
そんな中、
2020年2月〜3月。
世界中に広がり始めていたコロナウイルス。
傍観する間もなく、日本でも一気に「他人事ではなくなる」空気へと変わっていきました。
学校も閉鎖され、国境も閉ざされる。
そんな事態が、数週間後に待っているとは、このときの私たちはまだ、そんな未来を想像してもいませんでした。
「マレーシア移住直前」での計画変更、フライト中止・チケットのキャンセル、そして「それでも移住を諦めなかった理由」については、また別のタイミングで、改めて書こうと思います。
ランキングに参加しています。
応援クリック、よろしくお願いいたします(*^-^*)